時計のコラム
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石崎時計店 第1号
ジョン・ハリソンのつくった「マリンクロノメーター」
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫

ロンドン市内より鉄道で15分のところにグリニッジという街があります。東経、西経0度の位置にあり、経度の基点となったグリニッジ天文台がある場所です。

グリニッジ天文台
写真1
天文台はグリニッジの駅から歩いて20分の小高い丘の上にあります。歩いていくと、天文台のポールに大きな赤いボールが刺さっているのが目に付きます。(写真1)この赤いボールはタイムボールと呼ばれ、12時58分に天辺まで上がった後、13時丁度に下に落ちます。近くを通るテームズ河を船で運行する人々がこのボールの落ちるのを見て、午後1時に時計を合わせるためのものでした。この天文台は現在博物館になっていて、中にジョン・ハリソンのつくった「マリンクロノメーター(海洋精密時計)」があります。この時計が今回の主役です。この時計の生まれた背景を見てみましょう。

1707年、英国海軍軍艦4隻が岩礁に衝突、沈没し、乗組員2千人が亡くなった事故がありました。この事故は当時正確な経度が計れないことに起因するものでした。そこで英国政府は、0.5度の精度で海上における経度を確認する方法を発見したものには2万ポンド(現在のお金で2億円以上)の賞金を与えると宣言したのです。この決定がなされた諮問委員会にはあのニュートンも加わっていました。当時は一般的には、船体のゆれや熱帯から北極まで航海することによる温度差を考慮すると、船上で正確なときを刻む時計はあり得ないとも考えられていました。

そして、この条件を最終的に満たす「マリンクロノメーター」を初めにつくったのが、ジョン・ハリソンです。
ハリソンは1693年大工の息子として生まれ、20歳になるころには独学で時計製造技術と理論を身につけました。
彼は、H1(写真2)と呼ばれる1号機を1730年より6年間かけてつくりました。1辺が50cmほどもある重量34キロの代物です。
木製歯車とダンベル型振動子(船のゆれに対し素晴らしい動きをする)が目立ちます。このH1は洋上試験をされ今までの時計にない優れた成績を修めました。
しかしハリソンはもっと良いものをつくりたいとの希望を述べたため、H2、H3とつくるようになり、H4が出来上がったときにはH1から23年も経っていました。
この時計も洋上試験にだされ、約5ヶ月の航海でわずか2分の誤差しか生じさせませんでした。
経度に換算すると、ちょうど委員会の認める0.5度でした。
さまざまな思惑があり賞金の払われたのは1773年なので、1776年に亡くなるハリソンにとってこの「マリンクロノメーター」をつくることは、まさに一生の仕事になったのです。
H1
写真2

歯車
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