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石崎時計店 第3号
ジュウ渓谷の時計師フィリップ・デュフォーのアトリエ
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫

時代表記において、弥生時代、ジュラ紀の共通するところは、共に一番初めに発掘された場所の地名がつけられたというところです。弥生時代は東京都文京区弥生町で土器が発掘されたことに由来し、またジュラ山脈から沢山発掘されたアンモナイトから、この時代はジュラ紀と名付けられました。2億1千万年から1億4千万年前の恐竜が栄えていた時代です。その地層がある山脈にいだかれた地域をジュラ地方といい、時計産業が盛んな一帯です。今回紹介するのは、その中でも中核をなす「ジュウ渓谷」です。

写真1:もやがかかり神秘的なジュウ湖
ジュウ渓谷と聞いただけで"高級機械式時計のメッカ"と連想する人もいるはずですが、有名時計メーカーの製造工場がこの渓谷の中心のジュウ湖(写真1)周辺に集まっています。オーデマ・ピゲ、ジャガー・ルクルト、ブランパン、ブレゲ、ダニエル・ロート、ジェラルド・ジェンタ、それにムーブメントメーカーのレマニア、フレデリック・ピゲ等があります。何故この地に時計産業が栄えたかについては、歴史的な背景があります。

17世紀、宗教的弾圧から逃れてフランスからユグノー教徒(プロテスタント教徒をフランスではユグノー教徒という)がジュネーブに流れ込んできました。その中には時計師も大勢混じっていました。やがて、小さな街ジュネーブだけでは住むには足りないので、ジュラ山脈の中にまで時計師達は住むようになりました。雪にうまる冬をはじめ、閑静な山の中は、家でじっくり時計仕事をするのに最適な環境だったのでしょう。その名残でしょうか、いまでもムーブメント製造はジュウ渓谷で、組み立てはジュネーブでというメーカーもあります。そのジュウ渓谷の時計師として偉才とうたわれているのが、フィリップ・デュフォー氏です。NHKの特集番組などで、ご存知な方も多いのではないでしょうか。

昨年に引き続いて、今年もデュフォー氏のアトリエを訪れました。(写真2、3)ジュウ湖から車で、ものの10分ほど、昔学校であった建物がアトリエです。現在は娘さん(ヴァシュロン コンスタンタンの複雑時計部門での経験もある)とオーストリア人のウォッチメーカーの3人で時計をつくっています。デュフォー氏はジュウ渓谷のル・サンティエという町にある時計学校を卒業したあと、ジャガー・ルクルト社、ジェネラル・ウォッチ社に勤め、1978年に30歳で独立しました。大手時計メーカーへ自身の作った時計を売り込んだりしたあと、1992年のバーゼルフェアで、自分の名を冠した驚異の時計を発表します。
写真2:1870年に建てられ、元学校だったデュフォー氏のアトリエ。
写真3:出迎えてくれるデュフォー氏
写真4:上は表側、下は裏側です。
裏から見るとムーブメント用、リピーター用のそれぞれのぜんまいの入った2つの香箱が見えます。
ストライキング・ウォッチ(図1)と呼ばれるグラン・ソヌリ、プチ・ソヌリ、ミニッツ・リピーター機構の備わったウォッチです。写真4はそのプロトタイプとなるポケットウォッチです。それらを生み出したデュフォー氏のアトリエには1920年代から1950年代にかけての機械が並んでいます。(写真5)やはり時計師だったおじいさんから受け継いだ工具も、今だ現役です。新しい旋盤もあれば古い旋盤もあり、どちらも使いこんでいます。古い手回しの時計旋盤は自分の手の感触で仕事ができるので、このアトリエでは重要な道具となっています。ブリッジ(受け)にコート・ド・ジュネーブ(美しい波形模様)をつける機械も動かしてもらいました。(写真6) 写真7は歯車の歯先を1歯づつ磨く機械です。
図1: ストライキング・ウォッチはきわめて精密な機構を内蔵し、音で時刻を知らせる時計です。
代表的な3種類は
グラン・ソヌリ 毎時及び15分毎に自動的に鳴る機構
プチ・ソヌリ 毎時に自動的に鳴る機構
ミニッツ・リピーター 時刻を知りたいときに応じて、対になった2つのハンマーが低い調子の音で時刻を打ち、さらに高低2重の音で15分を打ち、その後高い調子の音で分を打つ機構
歯車
写真5:歯車の歯を切る旋盤の説明をしてくれるデュフォー氏
歯車
写真6:コート・ド・ジュネーブ(波形模様)の作業中
歯車
写真7:つげの木でできた円盤を回転させて1歯づつ磨きます。

現在3人でつくっているのは「シンプリシティー」という時計です。(写真8、9)手巻きの時針、分針、スモールセコンドと呼ばれる秒針がついたとてもシンプルな時計で、優美なブリッジのデザインと仕上げの美しさも目立ちます。デュフォー氏のアトリエでは、外部に部品を発注してただ単に組み立てるのではなく、部品から丁寧にひとつずつ作っています。そして磨きにも十分な時間がかけられています。こういう時計のつくり方もあるというお手本のような世界です。年間20数個つくるのがやっとというのも十分うなずけます。超複雑時計を得意とするデュフォー氏が、何故こんなシンプルな時計をつくるのか? その理由は「きちんと長く伝えられる時計をつくるために、あえてシンプルな時計をつくった。後世の時計師達が何度もオーバーホールしながら、つかえる時計を目指した」とのことでした。
シンプリシティ
写真8:ブリッジのデザインもコート・ド・ジュネーブの仕上げも美しいシンプリシティの裏側です。
シンプリシティ
写真9:シリアルNo001のシンプリシティ。上の時計とどこが違うかわかりますか。
デュフォー氏が勉強したのはジュウ渓谷の先輩時計師達がつくった時計だそうです。同じル・サンティエには、ジュウ渓谷の時計師たちがつくった時計をみることができる「ESPACE HORLOGER DE LA VALLEE DE JOUX」(ジュウ渓谷の時計博物館)があります。時計文化の継承者であるデュフォー氏の地元の博物館です。いつの日か、伝統あるこの博物館にデュフォー氏の「シンプリシティー」が飾られて、そしていつの日か、その時計を見て学んだ第2のデュフォー氏が、我々を、または次世代の若きウォッチメーカー達を、感動させてくれるのでしょう。
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