時計のコラム
時計のコラムバックナンバー
石崎時計店 第5号
このページでは、各国の時計や本校ウォッチコースの情報を紹介しています。
ファベルジェとパルミジャーニ
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫

この2人、生きている時代こそ違いますが、実は確実に結びついています。この2人を結びつけたものは「イースターエッグ」です。
イースターエッグはイースター(復活祭)のとき使われ、キリスト教で大きな力を宿す存在とされている卵を彩色し、親しい友人に贈ったり、飾ったりする習慣のものです。

ロシア皇室御用達の宝石商ファベルジェ(写真1)は、1885年から1916年の32年間に56個のイースターエッグを作りました。そのほとんどはロマノフ王室のアレクサンドルIII世とニコライII世の注文を受けて、それぞれの皇后と母后に贈るためのものでした。これらのイースターエッグの特徴は、宝石と貴金属でつくられ、卵の中には「サプライズ」(おどろき)が仕掛けてあることです。(写真2)
カール・ファベルジェ
写真1:カール・ファベルジェ

コロネーション(戴冠式)エッグ 写真2:コロネーション(戴冠式)エッグ

卵を開けると中からダイヤモンドとエナメルで飾られたゴールドの馬車が出てくる。実際の戴冠式で使われた馬車の精巧なミニチュア。その中には更にブリオレットカットのダイヤモンドが隠されている。

この話は1880年代、アレクサンドルIII世が沈み込んでいた皇后のマリアを喜ばせるため、ファベルジェに依頼したことより始まります。ファベルジェはロシア伝統の復活祭の卵とマリアの出身であるデンマーク王室所蔵のエッグ(置物)より着想を得て、1885年に初めてのイースターエッグを作ります。(写真3)ゴールドに白のエナメルを施し、黄身の部分に相当するところはゴールドで作り、その黄身の中にゴールドのメンドリが入った仕掛けを作りました。さらにメンドリの中には(現在は消失してありませんが)ルビーの王冠が、王冠の中にはペンダントが入っていました。これが大いに喜ばれ、毎年さまざまな工夫を凝らしたイースターエッグが作られるようになりました。やがて、1917年のロシア革命によりロマノフ家は倒れ、ファベルジェも逃亡する身となったため、この仕事も終了します。そして、このイースターエッグもロシアには10個を残すだけで、あとは散逸してしまいました。
メンドリ・エッグ
写真3:メンドリ・エッグ
時は約100年近く流れて、スイスのサンド財団は2つのイースターエッグを手に入れます。スワン・エッグ(写真4 )と孔雀エッグと呼ばれるものです。どちらにも共通しているのが、オートマタ(ぜんまいと歯車で動く自動人形)が中に仕掛けられ、サプライズになっている点です。このオートマタが時代を経て動かなくなり、修復の必要がでてきました。そこで選ばれたのが、時計修復士のミッシェル・パルミジャーニでした。1999年にNHKで放送された「地球に乾杯 ロマノフ王朝の秘宝を追え」では、この修復されたスワンと孔雀が登場します。
スワンはネジを巻き動かすと、首をもたげ羽を広げしっぽをふり、みずかきを回しながら水面をすべるように前に進みます。孔雀は同じようにネジを巻きボタンを押すと、ゆっくり歩き出し、首を左右に動かし、尾羽をだんだんに広げます。この修復の成功によりミッシェル・パルミジャーニはより知られるようになりました。

スワン・エッグ 写真4:スワン・エッグ

1906年、ニコライII世が母親であるマリアの結婚40周年記念の年に贈ったイースターエッグ。白鳥は結婚の絆の永遠性を表し、家庭生活のシンボルとロシアでは思われている。
紅紫色の七宝でおおわれたゴールドの卵は、ブリリアントカットのダイヤモンドが石留めされた格子状のリボンで飾られている。卵の中には白、黄、ピンク色の花で飾られたゴールド製のカゴがあり、その中にオートマタの白鳥がセットされている。白鳥はゴールドの上に銀メッキがされている。

ミッシェル・パルミジャーニは1950年に生まれました。フルーリエ時計学校を卒業し、その後さらに技術学校に通い、企業に2年間勤務した後、1975年に時計修復の工房を設立しました。独立はしましたが、スイス時計産業はクォーツ時計旋風のために機械式時計の状況が悪く、倒産するところも多くあり、バックアップしてくれる企業はありませんでした。生活していくために修復の道を選んだとも言えます。しかしこの道を選んだことが、彼のその後に大きな影響を与えます。1993年に、あまりの複雑さのため専門家の間でも修復不可能と言われていた1845年製のブレゲの同調時計(シンパティック・クロック)を、1800時間かけて修復に成功します。1995年にはサンド財団のコレクションの修復を依頼されるようになりました。その後、彼の考え方と技術力に強い信頼を寄せていたサンド財団からの資金援助を得て、自らのブランド「パルミジャーニ・フルーリエ」を設立したのです。(写真5)

パルミジャーニ・フルーリエの時計 写真5:パルミジャーニ・フルーリエの時計

(トリック ウェストミンスター)4つのハンマーと4つのゴングでウェストミンスターのチャイムを奏でるミニッツリピーター機構が入っている。

ここで、そのミッシェル・パルミジャーニ氏が2004年6月、本校に来校されたときのお話をしましょう。「時計の修復」のセミナーのひとコマです。(写真6)
「時計の修復は修理と違い、動くようになればいいと言うのではなく、元の姿に戻すことが大事なのです。そのためには始めにしっかり時計を観察、調査し(ブレゲの同調時計の時は調査に15日間もかかった)、その時計がどんな時代に生まれたのか、どんな歴史を持っているのか、どんな技術で作られたのか、素材は何か、途中でどのような修復をされたのか、と足跡を探し出すのです。擦り傷があればそこに何かのパーツがあったと推測したり、時には古い歴史の本を調べたりもします。何か、まるで探偵のような作業ですね。」と語っていました。
教室訪問中のパルミジャーニ氏
写真6:教室訪問中のパルミジャーニ氏
クリエーターであったファベルジェ、100年後その作品を修復した時計師ミッシェル・パルミジャーニ、そのミッシェル・パルミジャーニもクリエーターとして後世に残るすごい時計をつくっている。その時計を修復するチャンスはあなたにもありますよ。
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