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石崎時計店 第10号
このページでは、各国の時計や本校ウォッチコースの情報を紹介しています。
ウォッチメーカーコースのマイスターたち(1) 時計技術担当 / 宅間三千男
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫


写真1: 時計技術担当 宅間三千男先生
写真2:授業中の宅間氏
時計技術者歴50年を超える宅間三千男(以下宅間氏)は、すばらしい技術者であり、また穏やかかつ厳しい教員でもある。
学生には「将来はプロとして仕事をするのだから、授業中でもプロ意識をもちなさい」と教える。プロ意識とは、出来上がりの美しさ、正確さはもちろん、“1年間この時計を保証できる”仕事をすること。また、無駄な動きをしないことだと言う。時計を組み立てて油を差してしまった後に、どうも調子が悪いとなればまた分解しなければならないし、汚れたところを洗わなければいけない。これは無駄な動きだ。まず、見える(不良箇所を発見できる)こと。見えたら、どのように直すかを頭の中で想像力を働かせて考える。その考えに従って、手が動く。このトレーニングを重ねろと氏は説く。

現在の宅間氏がつくられた背景に少し触れよう。時計技術者としてのキャリアは1946年服部時計店入社より始まる。
ここでは掛け時計、置時計、腕時計、そして銀座4丁目角に建つ「和光」のシンボルでもある塔時計について学び、その後、技術者として頭角を現した。そして1960年にシイベルヘグナー社が開設したオメガ・サービスセンターで、技術者として携わりながら、オメガの部品カタログを翻訳する仕事も任されていた。自動巻きムーブメントのローターを「重錘(じゅうすい)」と翻訳したのも宅間氏である。

また、スイス・オメガ社から派遣されてきたハンベルト氏の推薦により、半年間スイスの大ブランドで研修も受けたことも、後の宅間氏に大きな影響を与えたそうだ。トレーニング場所はオメガ(写真3)、ティソ、レマニア、ユリス・ナルダン、ヴァシュロン・コンスタンタンと、どれも名高い一流時計メーカーだ。帰国後も毎年のようにスイスのトレーニングセンターへ行き、ブランパンでは永久カレンダー、ブレゲではトゥール・ビヨン、永久カレンダー、同調時計のトレーニングなど、非常に高いレベルを習得した。

写真3: 左はオメガ社トレーナーのハウザー先生

写真4: ブレゲ社アトリエ技術者達と一緒にトゥール・ビヨンのトレーニングを受ける。
前にあるのが、ロート氏が借りてきてくれた模型
写真5: 右はブレゲ社技術責任者のダニエル・ロート氏
中でも、ブレゲ再興の立役者となったダニエル・ロート氏には、直接指導を受けるという栄誉に与っている。

ロート氏は彼にトゥール・ビヨンを教えるために、自らジュラの時計学校まで模型をとりに行ってくださるなど、大変丁寧に教えてくださったそうだ。(写真4、5)あれから年月は経ったが、宅間氏の時計に対する情熱はあの時と変わらない。学校の若手教員からは「あれだけの技術者でありながら、今も新しい知識、技術を勉強している姿はすごい」と尊敬されている。

どうしたら先生のようになれるかと尋ねると
「仕事を学ぶ環境。すぐれた技術者の下で勉強できるかどうか。そして、すべての技術を吸収しようという意欲があるかどうかで決まる」「人間の持っている才能はそうは変わらない。本人がもうちょっと努力して伸ばそうとするかどうか、これが分かれ目かな」宅間三千男は確信に満ちた目で言った。
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