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石崎時計店 第11号
このページでは、各国の時計や本校ウォッチコースの情報を紹介しています。
ウォッチメーカーコースのマイスターたち(2) キャリアカレッジ時計技術担当/小川信尚
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫


写真1: 時計技術担当 小川信尚先生
写真2: キャリアカレッジでアンクルの働きの話をする小川氏
いったい何人の時計技術者を育てたのだろうか。
小川信尚(以下小川氏)の時計技術者育成歴は、ゆうに35年を越える。これまでに小川氏は、10年目にあたるヒコ・みづのジュエリーカレッジ(写真2)で410名、その前のセイコー社時計研究所(写真3)で約500名、東京都時計高等職業訓練校で約100名、総計1000名以上の時計技術者を世に送り出してきた。これに講習会(写真4)を含めれば軽く2000名は超えるだろう。過去に、こんなに多くの技術者を育てた人はそういないはずだ。まるで時計の先生になるために生まれたような人である。

小川氏は、時計技術者の教育にどのようなきっかけで携わることになったのだろうか。父親がセイコーの時計技術者だった影響で、小川氏は小さいころより置時計、柱時計を分解したりして遊んでいたそうだ。そして18歳になると、当然のように第二精工舎(注1)に入社し、部品加工から組立まで手がけた。

一通りの経験を積んだ後、1967年、組立技能研究所で1年間教員になるべくトレーニングを積み、翌年より念願であった教員となる。「念願」と書いたのには理由がある。それは小学生時代にさかのぼるが、えこひいきが激しく、教え方はヘタで、熱意も感じさせない教師を見て、自分は大人になったら熱心な教員になろうと子供心に決心したそうだ。

小川氏のモットーは「熱意」である。熱意があれば相手に伝わる、学生に熱意をもって接すれば、学生から熱意も受け取ることができる、それによって自分も動かされる、と言い切る。その熱意を表すエピソードにはこと欠かない。

数年前になるが、小川氏は胆石を患った。緊急手術後、3日目に私は見舞いに行ったのだが、小川氏はすでに半身を起こし、手にはピンセットを持っていた。前日に見舞いに来た学生の「先生、早く良くなって教えてください」との声に応えたいから、トレーニングを始めたというのだ。なんという熱心さだろう。

写真3: 1975年組立技能研究所で指導をする
写真4: 1978年頃のクォーツ修理技能講習会の様子、講師は小川氏
そして、その熱意はいつの時代も学生に伝わっている。その熱意の教えがはぐくむ輪のせいか、「卒業生同士の結婚もかなりあります」小川氏は優しい笑顔で目を細めた。

(注1)1937年精工舎よりウォッチ製造部門が独立して第二精工舎(現セイコーインスツル株式会社)となった。
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