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石崎時計店 第14号
このページでは、各国の時計や本校ウォッチコースの情報を紹介しています。
マリア・テレーサとベラスケスと携帯時計 〜女性が携帯時計を身につけたとき〜
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫


肖像画によって、その当時のファッションや装身具類の着け方がわかる、と言われます。しかし、描かれている人物は王室や貴族、豪商、高級役人など、肖像画を注文できるほどのお金持ちです。そのファッションや、身に着けているものは、一般庶民とはほど遠かったであろうことは理解しておく必要があります。

さて、この絵(写真1)はスペイン王フェリーペ4世お抱えの宮廷画家、ベラスケス(注1)が1652年から1653年にかけて王の娘のマリア・テレーサを描いたものです。画中にある、2個の時計を見てください。この時代は、ウエストから時計を下げていました。また、この頃の女性に流行ったファッションに蝶結びがあります。

絵から判断しにくいのですが、王女のウエストの部分ではリボンが蝶結びされ、そこからチェーンではなくリボンで時計が下げられています。

写真1: 王女マリア・テレーサの肖像

   
写真2: 1640年製エナメルウォッチ、白いエナメルの地に細密画の花が描かれている。時針1本のバージ式脱進機を搭載してる。国際時計博物館蔵。
時計の精度を大幅に改善した、17世紀末のホイヘンスの大発明(現在に通じるヒゲゼンマイ使用の時計)前の時代ですので、携帯時計は精度よりも外装の豪華さを競うものでした。絵に描かれた手前の時計は蓋が白いので、白いエナメル画をベースにしたものか、水晶を研磨して蓋にしたものであろうと、推測されます。エナメルの使用も水晶の加工も、この時代の特徴です。奥の時計は金色ですので、きっと豪華な彫金が施されていたのでしょう。ちょうど、これと同じ時代の時計(写真2)を参考に紹介します。

この絵はスペイン・ハプスブルグ家のフェリーペ4世から本家ウィーンのハプスブルグ宮廷にお見合い肖像画として送られ、縁談が組まれました。その後マリアは、フランス国王ルイ14世の后となっています。この時代、携帯できる時計は貴重なものだったでしょうから、それを2個もつけることで、お見合い肖像画に富や華やかさを演出したのでしょう。

ところで、ルイ14世は「ナントの勅令」(注2)を廃止した張本人です。そのため、カトリック教徒より迫害を受けたプロテスタント(時計職人を含む多くの商工業者がいた)がジュネーブに逃げ込み、スイスのジュネーブ時計産業発展の基礎を築いたことは何かの因縁でしょうか。

(注1) ベラスケス:(1599-1660) スペイン絵画の黄金期である17世紀を代表する画家。「ラス・メニーナス」(宮廷の侍女たち/1656年)等が有名。

(注2) ナントの勅令:宗教戦争を終結させるため、1598年にフランス王アンリ4世が発布。プロテスタントなどの新教徒にも、カトリック教徒とほぼ同じ権利を与え、信仰の自由を認めた。
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