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石崎時計店 第15号
このページでは、各国の時計や本校ウォッチコースの情報を紹介しています。
マリー・アントワネットとブレゲと携帯時計 〜華やかに携帯時計を身につけたとき〜
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫


ルイ16世の王妃マリー・アントワネット(写真1)は、アブラアン・ルイ・ブレゲをひいきにし、いくつもの時計を購入しました。また、彼を上流階級の人々に紹介もしていたようです。

マリー・アントワネットが、ブレゲから一番初めに時計を購入したのは1782年、ミニッツリピーター、カレンダー機構搭載の自動巻き時計No.2だといわれています。次いで1784年には、No46(写真2)を購入しました。

ブレゲの考案した「ブレゲ針」と、この当時に使われた「ルイ16世針」(写真3)を比べると、ブレゲがいかに視認性に優れ、革命的であったかわかります。また、その時計を好んだマリー・アントワネットのセンスも優れていたと言えるでしょう。

写真 1 1783年に描かれたマリー・アントワネット 

写真2 「No.46」リピーター機構つきの自動巻きで、ブレゲの特徴である文字盤に、繊細な基盤目状の彫りであるギョーシェがなされている 

写真3 「ルイ16世針」はロココ時代の雰囲気をあらわす華麗な針である
マリー・アントワネットの生きた時代はロココ時代(1715〜1789)と呼ばれ、貴族たちは快楽を求め、優雅な生活をし、まさに装飾文化の極みのような時代でした。そして、そのファッションリーダーがマリー・アントワネットでした。

彼女は、最初の時計を購入した翌年、ブレゲに「納期も、お金の糸目もつけないから、あらゆる複雑機構と最新のデザインを集めて時計を作って欲しい」と注文を出します。そして、出来上がったのが「マリーアントワネット」と名付けられた「No.160」。マリー・アントワネットもブレゲも既に亡くなり、ブレゲの息子の代になってからの、1827年(43年後)の完成でした(写真4)。

ブレゲの時計の機構的な素晴らしさはよく語られます。しかしデザインも、同時代の時計と大幅に違うことがわかります。彼が時計の歴史を200年早めた男といわれるのも納得ですね。

この時代の時計のつけ方として、女性たちに支持されていたのが「シャトレーヌ」(写真5)です。時計を、直接ウエストから鎖やリボンでさげるのではなく、金属の板と、くさりの先にフックがついた用具を使い、そこに時計を引っ掛けて身に着ける装身具です。

マリー・アントワネットがブレゲの時計をシャトレーヌに付けて使用したかは不明ですが、このシャトレーヌ、優雅で、豪華でまさしくロココといった感じですね。語源からするとシャトレーヌ=「城主の妻」という意味で、城の管理を任された妻がいくつもの鍵をさげていたことから付けられています。また、時計以外にも、時計のぜんまいを巻く鍵、香水ビン、はさみ、印章なども一緒にさげていました。

このロココも、1789年のフランス革命を境に変わっていきます。現代に比べるとまだ装飾的ですが、ブレゲが手本を示したようにシンプルなデザインへ移行していきます。

時計の作り手のブレゲ、そしてそれを愛用したマリー・アントワネット、2人とも確かに歴史の中で輝いています。


写真4 「No.160」ミニッツ・リピーター、永久カレンダー、パワーリザーブ・インジゲーター、イクエーション、自動巻きでケースはゴールド、文字盤はロック・クリスタルなので構造が見える。残念ながら1983年当時
の所有者であったイスラエルの美術館から盗まれたきり行方不明となっている。

写真5 携帯時計がつりさげられたシャトレーヌ。全長19cmあり、揃いのエナメル画で装飾されている。ロココ時代の全盛期には、ウエスト左右から2つもさげることがあった。
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