時計のコラム
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石崎時計店 第22号
10 回目となる2006年度 スイス研修旅行
ウォッチメーカーコース学科長  石崎 文夫
写真1 峠から見たアルプス。中央の山がモンブラン、静かな湖のように写っているのは霧。
毎年開催されるスイス研修旅行も10回目となると、かなりの現地データが蓄積されてきます。
例えばジュネーブから車で1時間のところにジュラ渓谷の時計製造の拠点ルサンティエという町があるのですが、天気がよければちょっと早く出発し、ジュラ山脈の峠で車を停め、モンブランが中心をなすアルプスの山々の美しさを堪能したあと(写真1)、ジャンシャン(注1)採取なんて事もできます。

(注1)高山に生えるリンドウ科の植物。枯れたものを乾燥させて、パーツの最終磨きで使用する。昔のジュウ渓谷の職人は使用していたが、今では独立時計師フィリップ・デュフォー氏のほか、少数の時計師しか使っていない。

今回の研修では、ジュネーブからスイスに入り、ジュラ渓谷、ラショードフォン、ビエンヌと時計産業発達地域を車で横断しチューリッヒから帰国するというコースをとりました。

ジュネーブは空港と市内が世界で最も近い主要空港のひとつと言われており、車で約15分の距離です。初日の到着は夕刻だったため、研修は翌日からとなりました。

初日はジュウ渓谷にある時計メーカー見学です。ここには多くの工場があり、昨年はジャガールクルト、ヴァシュロン・コンスタンタンの工場を訪問しました。

今年度はルブラッシュにあるオーディマ・ピゲ本社工場の見学です。オーディマ・ピゲは1875年創業の複雑時計を得意としたメーカーで、ロイヤルオーク(写真2)が良く知られています。

本社工場に隣接して博物館がありますが(写真3)、この建物は創業時の工房で創業者ジュール・ルイ・オーディマの生家であったとのことです。

ここで面白いものを発見しました。1918年に出されたオーディマ・ピゲ社の就業規則です(写真4)。

月〜金の平日は7:00〜19:00、土曜は6:30〜12:30と仕事時間が書かれています。何とこの当時の就労時間は週当たり58.5時間労働です。今と比べるとかなり働き者ですね。平日は日の出とともに起き日没まで仕事をし、その分土曜の午後から日曜まで続く休日を楽しむ。
そんな感じがこの山の中の町・ルブラッシュの生活だったのでしょう。



ルブラッシュからルサンティエを通り抜け、ルソイアに行くと敬愛するフィリップ・デュフオー氏のアトリエがあります。

今では学生からのリクエストにより毎年のようにアトリエ訪問をするようになっています。目の前でのコート・ド・ジュネーブ(注2)の実演は目を見張るものですが(写真5)、今年はピンセット一本でブレゲヒゲをつくる様子も見せてもらいました(写真6)。

(注2)さざなみをモチーフにした装飾模様の一種で、時計では受けやローターなどに施されることが多い。その美しい模様は高級時計の証とされ、古い歴史を持つ。

 


2日目はジュネーブのロレックス本社工場の訪問です。


写真7 ロレックス・カラーであるグリーンのガラスで覆われた本社工場。
写真2 初めて「ステンレスブレス一体型の高級スポーツウォッチ」という分野を認めさせた。デザインはウォッチデザインの天才、ジェラルド・ジェンタ。ベゼルの8角形はイギリスの戦艦ロイヤルオークの船窓のデザインから来ている。

写真3 得意とする複雑時計の数々と共に、創業者のジュール・オーディマが使用した工具類が展示されている。

写真4 就業規則。当時は祝日も7:00〜17:00まで労働が決められていた。

写真5 デュフオー氏によるコート・ド・ジュネーブの実演。

写真6 プレーンなヒゲゼンマイを一本のピンセットでブレゲヒゲに加工する技。投影機で図面と合っているか確認しながら作っていく。

写真8 本社前での記念写真。お土産の王冠マーク入りのチョコレートをもらいにんまり。

訪問するたびに、美しく大きくなっていく工場を見るのは楽しみですし、ロレックス社の良い時計を生み出そうとするエネルギーは、開発だけでなくパーツひとつから完成時計に至るまでの連続したチェック体制にも現れています。

この工場の体制をみればロレックスが支持されている理由もわかりますね(写真7、8)。
3日目はラショードフォンを基点に17キロ東にある町、サンテミエのロンジン社の見学です。

ロンジンといえば1940年代後半より製造されたキャリバー30CH(写真9)など、クロノグラフをつくったメーカーとして有名です。

時計のメーカー名は創業者の名前をつけられている事が多いのですが、ロンジン(Longines)という社名は1866年にサンテミエにある川の右岸に『Les Longine(長くて狭い野原)』と呼ばれる地域があり、そこに工場を建てたことに由来しています。
1867年に最初のムーブメントを生産し、併せてムーブメントにロゴを刻んだとのことです(写真10)。

また、社内にはコンピュータ化する以前の顧客台帳の部屋がありました(写真11)。1867年から1969年までこのように顧客管理されていたようです。時計史では、1969年から日本のクォーツ時計が大躍進し、スイス時計産業に大打撃を与えたと言われていますので、「ひょっとしてそのことと関係があるのかな」と思ったりもしてしまいました。


写真9 美しいクロノグラフのムーブメント。コラムホイールもばっちり


 


写真12 左からロンジンが属するスウォッチグループの旗、社旗、スイスの国旗、日本の国旗。会社の前はなだらかな坂になっており、スキーができるとのこと。
 
写真10 上は現在使用されているロゴ、下は創業時ムーブメントに刻まれたロゴ。マークの上のFRANCILLONは創業者の名前。   写真11 部屋の3面がこのような顧客台帳で埋まっている。


ロンジン社へ訪問した朝は霧が深く、建物を見つけるのも一苦労でしたが、帰る時にはすっかり晴れ上がっていました。その時、ふと見上げると玄関ポーチには日本の国旗が掲げられていました(写真12)。スイスで見る日本の国旗もまたいいですね。それにしても、こういった歓迎は心に残ります。

工場訪問はこの日までで、残りの3日間は博物館見学・中古工具店回り・移動時間に費やされました。

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