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第97号 ユトリロからピカソへ
第97号 ユトリロからピカソへ

前回で、ユトリロが徘徊していたモンマルトルの道を紹介したが、それを読んで、「パリに行く時があったら一度行ってみたい」という人のために、もう少し写真を紹介しよう。

写真1(※写真は拡大して記事と合わせて読んで下さい。)は、前回詳しく書いたラブリュヴォワ通りの頂上から撮影したものだ(地図@から矢印の方向を見る)。写真左側のピンクの建物は前回紹介したメゾンローズで、今も食事をすることができる。

写真を見るとわかる通り、写真手前から奥へ下り坂となっているためパリ市内が広く見え、遙か彼方にはモンパルナスタワーも見えている。この下り坂の下右側にはぶどう畑が今でもあり(地図A)、実際にぶどう酒も売られているそうだ。パリ産のぶどう酒は実在する。この坂の下から左へ曲がればサンヴァンサン墓地(地図B)があり、ユトリロはここに眠っている。葬式の日には6万人の参列者があったと言われるが、この狭い通りに6万人も入れる感じはなく別の会場だったのだろうか。

もう一つ紹介したいのは写真2のテルトル広場(地図C)で今も十数人の画家がここで毎日絵を描いている。もちろん観光客目当てだ。背景にやはりモンマルトル寺院が写っている。

さて、このモンマルトルの小道でもっとも有名な場所は地図の左下、写真3のアトリエ洗濯船の建物だ(地図D)。写真で中央から右の低い建物がそうだ。

ユトリロのラブリュヴォワ通りから歩いて5分もかからない。なぜ有名かというと、この建物はピカソなど著名な画家が若き日にアトリエとして使っていたからだ。洗濯船と呼ばれた由来は、今の建物の前には写真4に写っている建物が建っていて、それがセーヌ川の洗濯船に似ていたと言われている。セーヌ川では当時洗濯が行われ、今のランドリーのように、ビジネスとなっていたのだろう。

写真5が現在の建物だが、その上部には、LE BATEAU LAVOIR
(洗濯船)という名を残している。ガラス窓の中には、このアトリエを使っていた有名な画家たちの写真(写真6は若き日のピカソだ)や作品の写真が飾ってある。その中の1枚がピカソの有名な作品『アビニヨンの娘たち』(写真7)だ。現在はNYのMOMA(モマ)美術館の目玉として飾ってある。私がモマのボランティアの解説の女性に
「個人的にどの絵が一番好きですか?」と聞いたら、直ちにこのアビニヨンの娘たちをあげたので、印象に残っている。

第97号 ユトリロからピカソへ
<写真1>
第97号 ユトリロからピカソへ
<写真2>
第97号 ユトリロからピカソへ
<写真3>
第97号 ユトリロからピカソへ
<写真4>
第97号 ユトリロからピカソへ
<写真5>
第97号 ユトリロからピカソへ
<写真6>
第97号 ユトリロからピカソへ
<写真7>

12/9/25

(写真をクリックして拡大してみてください。)

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